「すべてにイエス」、しばらくYesマンになろうかな

長年の友人の中にひとりハイパーYesマンがいます。ああ、もうひとりプチYesマンがいる。彼らはとてもいい人たちなのですが、「私はこうはならないわw このYesマンめ!(with love)」と思って/言っていました。でも、最近これはなかなかおもしろい信条(彼らは無意識)かもしれないなと思うようになりました。そんなエントリーです。

自分のサービスを形にしたいな、スタートアップしたいなと思いつつ、共同創業者になってくれる人いるかな…とポール・グラハム著/青木靖 訳「スタートアップを殺す18の誤り」を読んでもやもや凹んでいました。

もやもやうろうろしつつ、青木靖さんの訳文集の中におもしろい文章がありました。Reddit の創業者の文章です。

いろいろパワフルにやっているなあ、いいなあ、こんな風になりたいなと思いつつ、最後の「アドバイス」のふたつめの項目がとても印象に残りました。

すべてにイエスと言うこと。プロジェクトにせよ、インタビューにせよ、友人にせよ、ノーと言うことで多くのトラブルに見舞われてきた。イエスと言うことの結果として、たくさんのことを試みることになり、その多くが失敗したとしても、依然何かを成し遂げることができた。

「ノー」の結果トラブルに見舞われるかはどうかはわかりませんが、「イエス」と言うのは大事かもしれない。他の人にイエスと返事と言ってもらうためにも。打算的に直接相手に何かを期待するのではなくて、「あいつイエスって言うぜwww 何か頼んでみよう」を引き出す感じ。ライフ八苦、選択と集中戦略で「やらないことを決めてるヨ」なんて言う人に、他の人は、軽いお願いならまだしも大きなお願いに「イエス」とは言ってくれないんじゃないかな。書いてみると当たり前ですが、書くまであまり意識していませんでした。イエスエス

愛すべき「すべてにイエス」な友人たちについて考えてみると、おもしろい機会やいい出会いに恵まれています。その分よくわからない落とし穴にはまったりもしているけれど、これまた普段のイエスのおかげで誰かに助けてもらえている…。

そんなこんなで、しばらく「(すべてに)イエス」を信条に追加することにして、さっそくひとつ「イエス」と言っておきました。いつもより多くのことにイエスと言うと思います。お試しあれ(違う違う)。

■ 余談: 信条

信条について触れましたが、「すべてにイエス」(temporal)以外だと、『ハッカーと画家』の中に出てくる以下の一節を何かに迷った時の選択の基準にしています。

10) これは人生においても一般的に良い方法だ.2つの選択肢がある場合,難しいほうを選べ.ジョギングに行くか,座ってテレビを見るか迷ったら,ジョギングに行け.このルールがとてもうまくいくのは,おそらく,選択肢があって一方が難しいという場合,たぶんあなたの怠惰さがもう一方の選択肢を持ちだしたに違いないからだ.心の底では,何をすべきか知っているんだ.このルールに従えば,それを自分で認めることになる.
(『ハッカーと画家』第6章 富の創りかた p107 脚注より)

その他、気に入っている言葉はこちらに:


ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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