間抜けでお人よしかもしれないけれど、日本のゆとりは誇っていいと思う

# タイトルの「ゆとり」はいわゆるゆとり教育のゆとりとはちょっと違って、「余裕」に近い感じかな。で、誇るっていってもこれ見よがしに「ふふん」のではなくて、心の中で粛々と、ね。

外国で一眼レフを肩からかけて歩いていると、「カメラしっかり持った方がいいよ」「鞄に入れた方がいいかも」と声をかけてくれる人がいます。日本では今まで一度も言われません(日本は超絶安全なんだ!)。昨日もこちらの人たちと彼らの友人たちと、わいわい飲んでうろうろしつつ、以下のような話をしました。

「いつもカメラそんな持ち方してるの?」
「そうだよ。よく外国で気をつけろって道行く人に言われるw どうやって持ち歩く?」
「鞄に入れて鞄をお腹のところで抱えるかな」
「撮れないじゃん!」
「たしかにwww」

何だろう、基本的に今住んでいるオーストリアリンツでは盗られないだろうし、みんなと一緒だから多分大丈夫という安心とも信用ともつかない思いがあるんですね。最低限私なりに気にはかけているけれど、過剰に気にして一緒にいる人たちを信用していない感じになってしまうのも何だか悲しい。一緒にあちこち旅して愛着のあるカメラだけど、値段にしたら数万円のエントリーモデルで、人生が破たんしてしまうほど高価なものではないし、超絶プライベートなデータが入っているわけでもありません。色々なデータが入っているパソコンや、パスポートが入っている時のハンドバッグにはもうちょっと気を使うけれど、でも、腹巻みたいなのにパスポートを入れて歩いたことはついぞありません。人を見たら泥棒と思えを体現しているみたいで苦手です。

今まで深く考えたことはなかったけれど、こちらに来て、いろいろな場面で日本って豊かなんだなあと感じます。日本と比べてどこが貧しいと感じると言う話しではなくて、「日本って豊かだったんだ」とただただ感じます。で、この妙な豊かさが日本人を日本人たらしめているのかもしれません。ゆとりや余裕があって、悪く言えば間抜けでお人よし(^^;でも、個人的には、これは悪いことではなくて、アニメ・マンガ万歳!って以外でも、日本人が好意的に迎えられることが多いのもこの「ゆとり」が一因だと思います。成長が終わって衰退する国家のがつがつせずゆっくりしている国民。横柄に豊かさを誇示したり、消費に興じたりするでもなく。お年寄りや若い世代を見ていると、これ、顕著な気がします。
# 国の成長の観点から見たらそんな国民は駄目なのかもしれないけれど、まあ、きっと21世紀はゆっくりの時代だよ。

「Noと言えない日本人」なんて言葉が流行った時代もありましたが、クリティカルでないところでは、折れに折れていいと思います。大事なところで最低限 Yes No 言えれば OK。そんな性質の人たちが世界にいるっていうのはおもしろいことだと思うし、私がその一人であるというのもおもしろい。みんながズバズバ白黒つけてロジカルシンキングしたら激しく殺伐とした世界になると思います。変な「ゆとり」を大事にしたいな。
# 前にちょっと関連するエントリーを書きました「ロジカルシンキングの呪縛? - aki note

いつもヨーロッパのあれがいいこれがいいと書いていますが、こちらにいると改めて日本のよさも見えてきます。そんなこんなで、こっそり品行方正に誇りと自信を持ったらいいと思います。

何でも見てやろう (講談社文庫)

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# 半世紀前の旅行記に日本人の「ニコニコニヤニヤ」は別に悪いもんじゃなかろうと書いてあり、思わずそうそう!と。