何で年齢を気にするんだろう?気にしなければより自由になれるってもんだ

久しぶりに年齢の話をして、もやもや考えつつ、改めてこちらの年齢を気にしない文化っていいな、そんなこと気にしなければより自由になれるってもんだ!と思ったのでエントリーに(^^)

オーストリアで暮らし始めて、年齢が話題になったことは殆どありません。日本人同士で話した時と、あとは年齢によって値段が違うバスのチケットを買う時に聞かれたくらい。「年齢を聞かない」というか、多分そもそもそんなこと気にしていないようでもあります。

よく教科書やガイドブックに「外国で年齢を聞いてはいけません」的なことが書いてあって、そもそも興味ないし聞かないよwww!と思うのですが、どうなんでしょう。日本人同士で話していると結構唐突に「何歳ですか?」「あの人は何歳なんだろう?」と年齢が話題になることがよくあって、その度に「何でですか?」と聞いてみたいけれど、小心者なのでできません(^^;

あくまで私の仮説なのですが、日本で暮らしていると、まわりは殆ど日本人であまりバックグラウンドにも差異がなく、とりあえず天気よろしく年齢の話でも・・・ってなるのかなと。

「おいくつですか?」
「n歳です」
「へえ [微妙な間] 見えませんねー」

何だよこのプロトコルは!さらに「その年で・・・」「俺がその年の時は・・・」という雰囲気が漂うと、げんなりします。あと、「大台ですよーw」「もういい年で・・・」といった年齢自虐ネタもありますよね。私自身日本にいる時よく言っていて、何だかなあ、自分を卑下しているみたいで何で私はこんなこと言っているんだ!と。

人間関係はあくまでその人個人の魅力から築かれるものであって、年齢で友達になるかならないか決まるわけではないし、敬意を払うか払わないか決まるわけではないと思うのです。。。年功序列や年長者を敬う文化というのもあるけれど、よくよく考えてみると、長くやっていたから、長く生きていたから、それだけで素晴らしいというものでもないよね。もちろん年長者を軽視するというわけではなく。仕事の年齢制限も何か変。一生勤める時代ではもはやないのだから、向こう5年も元気にまわりと仲良く働けそうなら何歳の人でもいいのにね。

そんなこんなで年齢を聞くって何か変なだなと長いこと思っていて、そんな変な数値を気にしないヨーロッパの生活に居心地のよさを覚えています。変な制約がひとつなくなると、いろいろな人と仲良くなれるし、いい年こいて!とディスられたらどうしようと心配することもなく、クリエイティブにもなれようってもんだ(^^)

年齢を話題にしようとしたら「何で年齢を話題にしようとしているのだろう?」と自問してみるとよいかもしれませぬ。

# 過剰に年齢を気にしているというわけではなくて、話していて同世代っぽかったら「おお!同世代!」といったうれしさはあるのです。うまく言えないな、でもなんていうのかな、年齢ばかりが話題にされるのが苦手なんだ。