昔の日本人のアイディアノートってどんなだったんだろう?

人はどう知識と付き合っているのだろう、どういう風に付き合えたら知的に豊かな人生を送ることができるのだろう? という疑問にはじまり、結構頭の中ってカオスなんじゃなかろうか、そのゴミゴミ具合には多分ある種の美を見出すことができるんじゃないかな、で、それが見えたら人はクリエイティブになれないかなとかそんなことを考えながら研究をしています。

レオナルド・ダ・ヴィンチはじめ世界で偉人とされる発明家、芸術家、科学者のノートをあさってみて、はて、同時代の日本人の有名なノートってあるのかな? と探すもののない。うまく探せていないだけかもしれませんが。。。

そんな中、「あー筆と墨で半紙に書くんじゃ気軽にアイディアを書きとめられなかったのかな」と筆記用具について調べ始めました。

一番身近な筆記用具、鉛筆の歴史をみつけました。
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1500年代後半に鉛筆の原型が見つかるまでは、ヨーロッパでもインクと羽ペンで不自由していたよう。日本に伝わったのは1800年くらい? ちょっと記述が曖昧。1795年のその後はもう家康(1543-1616)、正宗(1567-1636)の時代じゃないような気が…というのはおいておいて、日本では明治時代になって本格的に輸入されはじめて、のちの三菱鉛筆株式会社が1887年に量産に成功。便利な筆記用具、鉛筆は日本ではちょっと遅れて広まって、それ以前は筆と墨だったとのこと。

勝手な推測ですが、墨と筆は、日々出会う断片的な知識を書きとめておくには不便だったんじゃないかな、どうしていたんだろう。うーん。和算関孝和のノートとかみつかったらおもしろいのに。あと、平賀源内? …ほかにどんな人がいるんだろう。漱石のノートはきれいだったみたいなのをどこかで見かけたけれど。文豪だと思考は違うのかな? でも、Commonplace book (備忘録?)という方法は文豪に支持されていたみたいな記述も見られる。

Commonplace book - Wikipedia

Some, such as Samuel Taylor Coleridge and Mark Twain, kept messy reading notes that were intermixed with other quite various material;

あと、ほかには、偉人のノートを少し詳細に見ていきたいところ。ひとつのトピックについて深く考えていたのか、それともむしろ雑多だったのか。