豊かさってなんだろうな

この数年で価値観が変わりつつあり、子供の頃思っていた豊かさと、今豊かだなあと感じる豊かさが違う気がします。

子供の頃はお金があれば、あれが買えるのに、これが買えるのに…と思って、子供にしては結構な額を貯金しました。でも、いざ大人になっていろいろ買えるようになってみると、物がいっぱいあっても気持ちよくないし、豊かだとも思えないことがわかりました。

必要最低限の物を持って生きて、みんなで集まっておいしいご飯を食べて、時間にゆとりがあって気持ちのいい場所で本を読めることの方がよっぽど豊かじゃないかなと最近感じます(いや、金持ち経験はないので、あくまで今までの体験の中で)。

よく将来に備えて…という言葉を聞きます。もちろん将来を心配することも大事だけれど、3〜6ヵ月生きられるくらいの貯金を残して、勉強や本、旅、おいしいものなど豊かさに支出することも大事じゃないかな。これこの数年で思うこと。

ホリエモンの『新・資本論 僕はお金の正体がわかった』に、大事なのはお金ではなくて信用で、いざとなったら貸してくれる人がいないことの方が問題という部分がありました。ちょっと極論かもしれないけれど、でも、お金がなくて泣きそうな時に泊めてもらえたり、ご飯を食べさせてもらえたりすれば、生き延びられる。お金がないことは、従来の価値観からすると豊かではないことになるのですが、いい友人がいてにこにこ生きるのと、お金があってもてんてこ舞いとどっちが豊かなんだろう。信用もお金もないと大変。信用からお金に似たものは作れても、お金から信用は作りにくい。「信用を貯める」というと打算的だけれど、これ大事だと思います。

ハッカーと画家』の「富のつくりかた」という章に「お金は富ではない」という節があります。豊かさの話とはちょっと違う気がしつつ通じる気もします。

なんかうまくまとまらないのですが、この変で。

子供の頃には考えもしなかった、そして意外と大人も知らない何かが世の中にはあるのではないかな、豊かさってなんだろうなと思う秋の朝でした。

新・資本論 僕はお金の正体がわかった (宝島社新書)

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ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

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